<中小企業しごと魅力発信プロジェクト>

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城南地区 小杉造園株式会社

小杉造園株式会社 世界中で日本庭園をつくることで、世界各国との親密な文化交流を図る

小杉造園株式会社

世界中で日本庭園をつくることで、世界各国との親密な文化交流を図る

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城南地区

小杉造園株式会社

世界中で日本庭園をつくることで、世界各国との親密な文化交流を図る

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海外進出ストーリー
世界中で日本庭園をつくることで、世界各国との親密な文化交流を図る

 日本庭園を世界に広める。そんな壮大な夢を実現すべく、早くから人材育成に力を入れ、優れた技術者をワールドワイドに送り出し、日本庭園を数多く手掛ける小杉造園。チャレンジ精神あふれる海外進出の軌跡と、世界を舞台に活躍する社員たちの奮闘ぶりを追った。

職人が誇りをもって仕事ができる環境を海外に求める

 欧米のセレブの間で日本庭園をというケースは稀にあるが、ここ数年、アゼルバイジャン、バーレーン、キューバなど、日本人にとってはあまり馴染みのない国々に日本庭園が次々に誕生している。その多くを手がけているのが世田谷で昭和初期から植木に携わってきた小杉造園である。
 同社が海外進出を目指したのは、ひとえに国内市場の縮小に起因する。なるほど、周囲を見渡してみると造園業や植木屋が手入れするほどの大きな邸宅が都市部に見当たらない。それでも、このところガーデン付きマンションが目立つようになっている。そこからの植栽工事などの発注で相殺されるかにも思えるのだが、世の中そう単純ではないようだ。ガーデン付きの大型マンションは大手ゼネコンが手がけていることが多く、業界は厳しい過当競争を強いられ、挙句には、職人の技術の低下を招くという負のスパイラルが業界を圧迫。そこで同社が活路を求めたのが海外というわけだ。
 小杉造園の小杉左岐代表取締役社長は、かつての家の主人と植木職人が末永く付き合う古き良き時代の人間関係はほとんどなくなってしまったと嘆きつつ、海外進出をこう語る。
「造園業界を元気にしたかったし、何よりも働く職人たちが誇りをもって仕事に取り組める環境をつくりたかった。日本文化を世界に広める役割を担うことが、海外進出に繋がり、社員も職人としての誇りをもって仕事に打ち込めると考えました」
 いまどきは海外進出もネットで容易にできる。しかし、造園という技術はネット上でいくら言葉を尽くし、写真を添えても、依頼に結びつく性質のものではない。確かな技術の裏打ちなくして通用するものではないと小杉社長は声を大にする。自信をのぞかせる言葉の背景には、同社の秀でた技術力があるからに他ならない。

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技能オリンピック国際大会造園部門で金メダルを獲得

 同社は1999年以降、職人の技術向上を目的に2年に一度、世界各国から優れた技術者が一堂に会し行われる「技能オリンピック国際大会」に挑戦し続けてきた。そして2007年、メダル常連国のヨーロッパ勢を抑えて、造園部門で金メダルを獲得した。これは日本企業初の快挙だった。これを契機に「KOSUGI」の名前は世界で知られるようになった。
「一つのオリンピックですから注目度は高く、当社の技術力の高さが広まり、それと並行して日本庭園も注目されるようになりました。ヨーロッパの造園家たちが、日本庭園をつくるなら『日本の小杉がいい』と推薦してくださったんです」
 小杉造園は、国内での主要な事業の一つであるマンションの植栽案件が比較的少ない2~4月ごろを中心に、海外での日本庭園づくりを手がけるようになった。その一方で小杉社長はさまざまな国の大学などで日本文化をテーマにした講演を精力的に行っている。こうした活動によって海外の若者が日本庭園をはじめとした日本文化に興味をもつようになるという熱い思いがそこにはある。いわば日本文化を広く知らしめる親善大使的な活動を自ら行っているのだ。
 さらに、日本庭園を手がけた国で、土壌調査を行った上で日本庭園に合う木の植林から栽培も指導するなど、現地で資材が調達できる環境を整備。現地の人だけで日本庭園がつくれる仕組みづくりに乗り出した。これは植林や木の流通などで人々が働けるよう雇用まで視野に入れた活動だ。
「異国での仕事に携わるには、その国の人間になりきって活動するよう心がける、それが大事でしょう。自社の利益も大切ですが、最終的な目的は日本庭園づくりを通した現地の雇用創出です。仕組みづくりは大変ですし、時間もかかりますが、当社や日本との友好的関係を作るためにも有効な方法だと考えています」(小杉社長)

body2-1.jpg職人の技術向上と海外進出で新しい造園業をあり方を示した小杉社長

異国での工事経験が社員の大きな成長につながる

 小杉社長が開拓した海外の日本庭園づくりで実際の現場で活躍するのは、入社数年の若手社員から10年前後の中堅社員たちである。国内で個人やマンション、あるいは企業などの庭園づくりを数多く手がけてきたとはいえ、言語はもちろん、食生活やビジネス慣習も違う異国の地で活動するには想像もしない苦労が伴うのは想像に難くない。
 昨年に中東のバーレーンの日本庭園を現場監督として手がけたのは、小杉幹雄さんだ。当時の入社10年というキャリアは、造園の世界では、一人前の職人になるために費やさなければならない最低の年数だという。いわば、職人として認められ、これからが職人としての真価が問われる時分。小杉さんはそんな期待を一身に集め、10名の社員を引き連れて新天地に赴いた。
「驚かされたのが庭園の広さでした。約4000㎡というサッカー場と同じぐらいの庭園なんて見たことも手がけたこともありませんからびっくりですよ」
いきなり重責を実感させられた格好の小杉さん。ひるむ暇もなく、早速、土壌を調査するとともに、日本庭園に合う現地の木々のリサーチに取り掛かった。
「日中はとにかく暑いので、スタッフの体調管理にも配慮しましたね」
 そう語る小杉さんだが、ほぼ予定通りに進み、約45日で広大な日本庭園を完成させた。もちろん、すんなり完成にこぎつけたわけではない。日本ではあり得ないトラブルにも見舞われた。工事に不可欠な重機が古くて工事効率が上がらないという計算外の出来事もあった。危機に立たされても臨機応変に対処していく。それも海外で活躍する造園師の腕の見せどころ。小杉さんは期待に応え、その一つひとつをクリアしていった。
嬉しい予想外の展開もあった。中東ではインドやバングラディッシュからの労働者が数多く働いている。当初、彼ら外国人スタッフとのコミュニケーションを心配した。ところが、そんな不安をよそに良好な関係を築くことができた。
「休憩時間はとにかく一緒に遊びました。言葉は通じなくても身ぶり手ぶりで意思疎通が図れるんだというのを身をもって知りましたね」
 この経験は小杉さんを一回り大きくした。入念な現地調査を行い、スタッフへの配慮、トラブルを事前に回避する柔軟な対応など、日本から遠く離れた異国の地だからこそ、細心の注意を払いながら作業に当たる大切さを学んだのだ。
この中東での経験が、今年のアゼルバイジャンでの仕事に活かされるようになる。

body3-1.jpgバーレーンを皮切りに複数の国で日本庭園の工事を手がけた小杉幹雄さん

目標に向かって協力し合うチームワークの大切さを学ぶ

 小杉さんが現場監督を務めたアゼルバイジャンのプロジェクトに若手社員として加わった宮下洋志さんは、「海外で造園に携わりたい」という希望を抱え、すでに海外進出を果たし、業界内で知られていた小杉造園の門戸を叩いた。
 「入社して2年目の見習い職人としてプロジェクトに参加しました。現地調査から携わることができ、資材の調達ルートの確保、スタッフが住む住居や家具の調達、日々の食事のための食材調査など工事以外の準備も担当しました。日本の仕事では、そんな経験はなかったので、生活も一緒にしながら目標に向かって協力していく大切さを学びました」
 プロジェクト中には、慣れない食事から体調を崩したこともあった。それでも他スタッフたちのフォローによって事なきを得た。そこでもチームワークの大切さを痛感したと振り返る。
 もうひとつ学んだことがある。それは「準備」の大切さ。海外の仕事では、国内のように資材や人を簡単に手配できないことが頻繁に起こり得る。そんな事態を回避するには、準備段階であらゆるリスクを洗い出して、対応策を検討することが重要になる。国内の現場にない緊張感がスキル向上に役立つ好例といえるだろう。
 そんな宮下さんの目指すべき目標は、日本の庭園づくりの技術力の高さを世界に向けて発信していくこと。小杉社長が海外進出を敢行した理由の一つでもあった「職人が誇りを持てる環境」の中で、社員たちはそれぞれの夢に向かってまい進している。

body4-1.jpg海外のプロジェクトでは、よりチームワークが求められるという宮下洋志さん

編集部からのメッセージ

シンボル的施設「熱海研修所」


 小杉造園が世界で躍進するために開設したのが業界初の熱海研修所である。ここで新入社員や若手社員は造園技術の基礎を学び、中堅社員はさらなる高みを目指し技を磨く。今では海外の造園家の子息にも開放。日本庭園の造園技術だけでなく、茶道をはじめとした日本文化の魅力も伝える施設として利用されている。まさに「人材こそ最大の財産」という小杉造園のシンボル的な施設といえるだろう。

edit-1.jpg技能オリンピック国際大会造園部門での優勝した際の金メダル