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城南地区 株式会社串カツ田中

株式会社串カツ田中 「好きこそものの上手なれ」スピード成長のカギは楽しむセンス

株式会社串カツ田中

「好きこそものの上手なれ」スピード成長のカギは楽しむセンス

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城南地区

株式会社串カツ田中

「好きこそものの上手なれ」スピード成長のカギは楽しむセンス

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「楽しい」を力に成長するストーリー
「好きこそものの上手なれ」スピード成長のカギは楽しむセンス

 1号店のオープンから10年足らずで120店舗を展開するまでに成長を遂げた串カツ田中。その原動力は社員が仕事に楽しみを見つけることにあった。

倒産の危機を救った「秘伝のレシピ」

 赤提灯に裸電球の明かり、壁にぶら下がる木札のメニューや、「ソースの二度づけ禁止」の張り紙など、まさに大阪の大衆的な串カツ店をほうふつとさせる店内の串カツ田中。北は北海道から南は沖縄まで、FCも含めて全国120店舗以上を展開し、その確かな味と雰囲気で人気を博している。
 串カツ田中の1号店は、2008年、東京都世田谷区でオープンした。実はこの時、株式会社串カツ田中(当時は株式会社ノート)の社長・貫啓二氏は、ここまでの成長は予想していなかった。それもそのはず、当時の景気はリーマンショックの影響で文字通りのどん底。串カツ店に先行して展開していた京懐石レストランの経営も思わしくなく、一からの再生、一店舗のみのつもりで串カツ田中を開店したのだったという。
 そう聞くと場当たり的な開店かと思いきや、串カツ田中の開店の背景には熱い物語があった。同社の田中洋江副社長は京懐石レストラン以前からのパートナー。実はその胸の内に、父のレシピを再現した串カツ店を開きたいという夢を抱いていた。しかし、肝心のレシピが見つからずに夢の実現は先延ばしになっていた。そんな時レシピが出てきた。ちょうど貫社長から「会社はもうだめかもしれない」と告げられ、帰阪準備をしているときだった。
 「あわや倒産かというタイミングで、奇跡のように出てきたんです。田中がこだわってきただけあって、レシピ通りに作ってみたら確かにおいしい。これだ、と思いました」と振り返る貫社長。衝撃のおいしさに、店名に「田中」を冠することを決めたという。
 希望のレシピの出現だったが、うまくいけば会社を再生できるが、うまくいかなければ借金を抱えて倒産。土壇場での新規事業は、まさに一か八かの賭けだった。世田谷の住宅街にある店舗を居抜きし、社長自ら大工仕事に入り、足りないものはホームセンターなどで安く買い集めた。
 起死回生を狙った串カツ田中は、予想をはるかに超えるヒットとなる。連日、店から溢れた客が店先でビールケースに座って飲む光景が見られるほどの大盛況ぶり。貫社長は、京懐石レストランを譲渡し、串カツ田中一本で行くことを決意、2015年には社名も「串カツ田中」に変更した。

body1-1.jpg倒産の危機を乗り越え、串カツ田中を育て上げた貫啓二社長

目の前の仕事を好きになれれば、挫折もチャンスに変わる

 1号店のオープンから10年足らずで120店舗。このスピード成長を支えるのは、現場で働く社員たちだ。入社5年目の折本勲さんは、過去にニューヨークに滞在していたこともあり、まだ同社が海外展開を視野に入れていない当時から海外勤務を希望してきた。それが叶ったのは2014年のこと。同社初の海外店舗がロサンゼルスにオープンし、経験とやる気を買われて海外勤務となった。
 しかし、人生はそう思い通りには運ばない。元々試験的な出店だったロサンゼルス店は1年ほどで閉店となり、折本さんはわずか4ヶ月で帰国することとなった。入社から3年間、目標としてきたものが失われた。すっかりやる気をなくして、会社を辞めて異業種で再チャレンジでもと考える時期がしばらく続いた。
 そんなとき、新店舗の店長にと声がかかった。最後のご奉公とばかりに引き受け、どうせやるなら最強の店舗にしようと意気込み、社員がいなくても店が回せるまでに、アルバイトスタッフを育て上げた。たった2ヶ月という早業だった。
 「1番の店舗になったという自負がありました。ところが、私がちょっと離れている間に、その店舗は崩壊寸前にまでなっていました」
戻ってみると店内はスタッフがお互いの悪口を言い合うような険悪なムード。それは客にも伝わり、売上げは落ち込んでいた。そこで折本さんがとったのは、若く、そしてコミュニケーション能力に長けたアルバイトスタッフを入れるという方法だった。
 「ロサンゼルス店ではさまざまなルーツの人が働いていました。人種も価値観も違えば働き方についての考え方も違い、ぶつかるのは日常茶飯事。それでも、その違いが良い刺激にもなることを学んだんです。最初は反発もありましたが、結果的に良い方向に変化してくれました」
 積極的に学び、持ち前のコミュニケーション力でスタッフや客と話す若いアルバイトスタッフの姿に、社員たちはみるみる間に感化されていったという。
 「入社したての頃、社長に『働くっていうのは、好きになるということを極めることなんだ』と諭されたんです。そのときは今一つ意味がわかっていなかったのですが、これだけのことを経験してようやく理解できるようになりました」と話す折本さんはこう続ける。
 「仕事をしていれば、悪いことも当然あります。そんなときでも目の前の仕事に何か楽しみを見つけられれば、挫折や失敗もステップアップへの道になる。だからこそ、いかに目の前の仕事を好きになれるか、楽しむことができるかが大切なんです」
 現在は10店舗を統括するマネージャーを務める折本さん。今後も人材育成手腕に期待が寄せられている。

body2-1.jpg「自身の経験から学んだことを、後輩に伝えていきたい」と話す折本勲さん

“楽しむセンス”を磨き、活躍する若手社員たち

 豊富な経験で後輩を上から引っ張っていくのが折本さんなら、串カツ田中を下から支えるのは若い社員たちだ。
 「接客業をしたい」と同社に入社した出川綾夏さん。彼女は、入社2年目の今年、弱冠20歳で副店長に就任した。そのプレッシャーは計り知れないが、その分やりがいも大きいと話す。さらに本橋脩佑さんは、入社3ヶ月で店長になったスーパーエリート。メニューやマニュアルを徹底的に覚え込み、店長試験にチャレンジして望みを叶えた。飲食店でのアルバイト経験があったとはいえ、容易なことではなかったはずだ。2人に共通するのは、今、目の前にある仕事を楽しみながら、自分の目標を見つけて真剣に取り組むという姿勢といえるだろう。
 「自分の好きなことややりたいことなんてそう簡単に見つかるものではありません。でも、自分の仕事を好きになることは誰にでもできます。スタッフには、自分の仕事を好きになって楽しむセンスを磨いてほしいですね」と貫社長も二人の仕事姿勢を後押しし、その将来性に期待を寄せる。
 「好きこそものの上手なれ」というように、何かを好きになることは成長への第一歩。自分の仕事を楽しみ、向上心を持って取り組む若手が続々と育っている同社は、今後ますます発展していくに違いない。

body3-1.jpg接客ではなによりも笑顔を心がけているという出川綾夏さん。スタッフの笑顔は客の笑顔を生む

編集部メモ

スタッフが楽しく働ける環境を提供する

 大阪研修やグアムへの社員旅行、アルバイトスタッフも参加する社員運動会など、同社ではイベントが多数催されている。アルバイトスタッフが自店の自慢をし合う「アルバイトフォーラム」では、優秀店舗のスタッフにグアム旅行が贈られ、「まさかアルバイトをしていてグアムに行けるとは思わなかった」と喜ぶ声が寄せられるという。
 「店舗スタッフはアルバイトも多いですから、社員・アルバイトの区別なく楽しめるようにと考えています。イベントによって、チームワークが向上したり、イベントそのものが目標のひとつになったりといった効果も狙っているんです」(貫社長)
 さらに同社は、飲食店には珍しく、完全週休2日、かつ連休での取得を制度化している。
 「会社の成長はスタッフに支えられていますから、こうした制度を整えるのは会社として当たり前。それでスタッフがより仕事を好きになって、楽しんで働いてくれたら何よりだと思っています」

  • 社名:株式会社串カツ田中
  • 設立年・創業年:設立年 2002年
  • 資本金:5億6,591万4,200円
  • 代表者名:代表取締役社長 貫 啓二
  • 従業員数:132名(内、女性従業員数17名)
  • 所在地:141-0022 東京都品川区東五反田1-7-6藤和東五反田ビル5F
  • TEL:
  • URL:http://kushi-tanaka.com
  • 採用情報:ホームページよりお問い合わせください