<中小企業しごと魅力発信プロジェクト>

中小企業しごと魅力発信プロジェクト 東京カイシャハッケン伝 東京カイシャハッケン伝

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多摩地区
京西テクノス株式会社

京西テクノス株式会社 脱・下請けを目指し、顧客、メーカー、社員も喜ぶサポートサービスビジネスを実現

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脱・下請けを目指し、顧客、メーカー、社員も喜ぶサポートサービスビジネスを実現

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京西テクノス株式会社

脱・下請けを目指し、顧客、メーカー、社員も喜ぶサポートサービスビジネスを実現

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ビジネスモデル誕生ストーリー
脱・下請けを目指し、顧客、メーカー、社員も喜ぶ サポートサービスビジネスを実現

 多摩市に本社を構える京西テクノス。計測器や医療機器の保守・修理サービスを手がけ、社員数約300名、年商45億円を誇る。かつてはメーカーの下請けとして厳しいコスト競争にさらされていたが、臼井努社長の英断と2本の電話で今日につながる大転換を遂げた。

激烈な価格競争。下請けから抜け出したい

 臼井社長は、1969年の生まれ。大学卒業後、計測・制御機器大手の横河電機に就職。6年勤務を経て28歳のとき自身の祖父が経営する京西電機に入社した。京西電機は大手電機会社の下請けとして、情報通信機器や計測器などの組み立てなどを行うものづくりの会社。同社も御多分にもれず、バブル経済の崩壊に打撃を受け、さらには、企業の多くが工場機能をコストの安い海外移転に動いたあおりで厳しい価格競争を強いられた。そんな90年代後半、追い討ちをかけるかのような事態が発生した。
「機械が故障したのでメンテナンスサービスを頼んだところ、数十万円を請求されたのです。私たちの会社が1円2円で戦っているのに対し、メンテナンスサービス会社は1回につき数十万円を稼ぐわけです。同じ機器を扱っているのに、この差は何だろうと天を仰ぎました」
 ものづくりはスピードよりコストが、サービスはコストよりスピードが重視される。しかも国内に設置されている機器のトラブルは、スピードの点から海外企業との競争にはなりにくいはずだ。考え抜いた臼井社長は、一つの答えにたどり着く。
 「下請けでものづくりをしているだけでは、いつかは窮する。それならわが社もサービス業に参入すべきだと確信しました」

body1-1.jpg『メーカーサポートが終了したら京西テクノスへ』と認識してもらえる会社を目指します」(臼井社長)

積み上げた知識と技術を活かしサービス業へ転換

 ものづくりからサービス業へ。大転換に思えるが、実は本質は変わっていない。
 「当社では製品を組み立てていたため、計測器の機能や中身に精通しています。また、出荷前に不具合があるものは修理している。その知識や技術が活かせると思いました」
 入社3年目、当時の社長に直訴し、メンテナンスサービスのプロジェクトを発足した。社内からの反発は強かった。一口に計測器といっても多種多様。メーカーによっても中身は異なる。それらを修理するためには、膨大な知識と技術を身につける必要がある。そんな大変なことをするぐらいなら、これまで通り、製造下請けに徹するべきだという声が聞こえてきた。社員の間には、長年ものづくりを貫いてきたという自負もあった。
 だが、臼井氏には信じるところがあった。
 「見た目や構造が多少違っていても、計測器である限り、基本的な原理は同じはず。不具合の箇所さえ特定できれば、どんな故障にも対応できると考えました。文系出身だからこその発想だったかもしれませんね」
 出身の横河電機へ営業攻勢をかけた結果、計測器の修理サービスの一部を委託してもらえることになり、なんとかスタートを切った。
 そんな折、運命的な電話がかかってくる。米国大手複合企業の医療部門からだった。
 「脳波計や心電計の修理サポートを手伝ってほしいとのことでした。医療機器は扱ったことがありませんでしたが、どちらも計測する機器。基本構造は同じと開き直り、二つ返事で引き受けました」
 社員2名を派遣したところ、技術力が高く評価され、1年後には10名を派遣するまでになった。その間、他社との取引も順調に増え、プロジェクト全体で60名を抱えるまでに成長。満を持して、国内外のメーカーを問わず機器の修理を受けるマルチベンダーサービス会社「京西テクノス」を立ち上げた。
 ところが、順風満帆の船出とはいかなかった。当の米大手企業の医療部門がメンテナンス事業を米国系の企業に委託することになったので京西とのメンテナンス契約は打ち切るといってきたのだ。それに伴い、同社員と共に働いていた先方スタッフもそこに移籍することになったという。黙って引き下がるわけにはいかない局面だった。臼井社長は意を決し、ある提案をした。
 「メンテナンス部門の仕事と社員をまるごとわが社に引き取らせてほしいとお願いしたんです」
 粘り強く交渉した結果、ビジネスパートナーとしてふさわしいかを諮ってくれることになった。経営状況や受け入れ体制などの厳しい審査を経て、最終的には修理業務を全面的に受託できた。外資系企業では難しい国内サービス網の構築や社内の教育体制が評価されたこと、そして何より、1年間共に働き、気心が知れていた転籍予定者たちから、同じ転籍するなら、雇用に厳しい外資系企業よりも日本企業に移りたいとの声が上がったことが大きかったという。
 「まさに大逆転勝利でした。この時に転籍してきた方々は、今も当社の中心的な立場で活躍していただいています」

body2-1.jpg修理技術の継承は、同社の生命線

顧客ダイレクトサービスも可能に

 ビジネスが順調に成長を始めたころ、2本目の運命の電話がかかってきた。取引のある計測器メーカーからだった。
 「日本航空(JAL)が古い計測器を修理してくれるところを探しているのだが、自社ではサポートが終了していて修理ができない。しかしながら、計測器メーカーとしては無下には断れず、困っているとのことでした」
 航空機の性能検査に使われる検査機器は、複数の計測器を組み合わせた「システム」として納入される。新しいシステムに入れ替えるには莫大な経費がかかるため、古い機器を修理して使い続けているのだ。
 故障した機器を持ち帰り、見事に修理して納品したところ、日本航空も計測器メーカーも大喜び。翌日には噂を聞きつけた全日本空輸(ANA)からも同様の依頼が来るというおまけがついた。
 「お客様にも喜ばれ、メーカーにも喜ばれる。しかもエンドユーザーと直接取引できて、価格の決定権も私たちにある。まさに『三方よし』のビジネスモデルでした」と臼井社長は振り返る。
 その後、取り扱い機器のジャンルを広げるとともに、全国にサービス拠点を整備、「24時間365日体制でトラブルの監視・受付を行うサポートセンター」「トラブルの現場に出向き修理を行うフィールドサービス」「故障した機器の修理を行うリペアショップ」「タイムリーなパーツ供給を行うパーツセンター」の4本柱からなるトータルマルチベンダーサービスの体制を構築した。
中小企業では大きな課題となる人材育成にも力を入れており、独自の教育システムを開発し、技術の継承と新技術の習得に取り組んでいる。
 さらに、ユニークなグローバルビジネスにも乗り出した。
 「世界からサポート期限切れの機器を関西国際空港のフリートレードゾーンに運んできてもらい、そこに当社の出張所を設けてその場で修理する。ほんの数日で修理してお返しできます」
 社員500人、年商100億円、そして上場企業並みの給料を実現したいと夢を語る臼井社長。それも遠い夢ではなさそうだ。

body3-1.jpg英語力を高めて新しいプロジェクトを立ち上げたいと森野さん

社員の声「夢が持てるからやりがいも大きい」

 入社4年目、現場で医療機器を修理するフィールドサービスエンジニアの下嶋秀一郎さんは、この仕事を天職だと感じている。「大学時代に接客のアルバイトを通じて、コミュニケーションの面白さに目覚め、一方で、機器の修理も手がけたいと思っていましたので、直接お客様とコミュニケーションを図りながら、多品目を扱えるこの仕事はまさに理想です」。多種類の機種の構造を覚える必要があるが、それも成長を感じられて充実感があると話す。
 カスタマーコールセンターに勤務する南部陽子さんは入社3年目、もともとエンジニア志望。当初は、希望と違う部署に配属され戸惑いもあったというが、「コールセンターでお客様の切実なご要望に接していると、サービスのスピードと質の大切さを実感した」という。
 ITの技術を身に付けて11年前、商社の営業から転職してきた森野雅之さん。現在、大手通信キャリアのネットワーク機器などのサポート窓口のリーダーだ。「社会のインフラである高速大容量通信を裏から支えているという自負があり、やりがいは大きいですね」。現在、仕事の幅を広げるべく、外部教育機関提供のe-ラーニングで英語力も磨いている。
彼らの活躍が同社のユニークなビジネスを支えている。

body4-1.jpg夢は医療機器の保守サービスエンジニアと語る南部さん

編集部からのメッセージ

時代の流れを読んだ決断


 国内の製造業が中国をはじめとしたコストの安い国との競争で疲弊して久しい。どの会社も生き残りをかけて模索する中、京西テクノスは社員の能力を活かす道を探り、見事にサービス業への転換を果たした。大手メーカーには、製品力を高めるためサービス部門を切り離している企業も少なくない。そうした時代の流れにうまく乗れたのも大きい。

edit-1.jpg修理を通して多くのお客様に会えるのがうれしいと下嶋さん

社員を鼓舞する「なんとかなる」精神


 ビジネスが好転するきっかけは、臼井社長が「運命的」と表現する絶妙なタイミングでかかってきた2本の電話だった。ただ「運がいい」と言ってしまえばそれまでだが、臼井社長は、持ち前の行動力で「運」を「必然」に変えてみせた。
 そして何より同社の躍進を支えているのは、良い意味での楽観主義なのではないだろうか。多品目を修理するための知識や技術を身につけるのは大変なはずだ。しかし、臼井社長の「なんとかなる」精神が、社員たちに勇気を与え、乗り越えた先にある未来を予感させる。エンジニアを目指す者にとっては理想的な会社に違いない。