多摩地区 マノ精工株式会社

マノ精工株式会社
「なぜ?」を突き詰めていくことで、技術の壁を乗り越える解決策が浮き彫りになる

マノ精工株式会社
「なぜ?」を突き詰めていくことで、技術の壁を乗り越える解決策が浮き彫りになる

技術を明日に繋げるストーリー
「なぜ?」を突き詰めていくことで、技術の壁を乗り越える解決策が浮き彫りになる
金属の切削加工を得意とするマノ精工。高度な技術をいかに育み、未来に伝えていこうとしているのかを伺った。
「なぜ?」を繰り返して、疑問を解消
マノ精工は1948年に創業した精密金属加工の専門メーカーである。かつてはカメラの部品を手掛けていたが、現在は技術的に難しい微細加工力を生かし、釣り具や医療機器、電気製品、自動車などのメーカーのオーダーに柔軟に対応し、顧客を獲得。さらに、埼玉県にある狭山工場以外に中国やタイにも工場を開設しており、従業員数50人規模の小さな会社ながら、世界を舞台に縦横無尽に活躍している。
同社の技術の高さを象徴するのが、十数年前からスタートした釣り具のリールに用いられる「ベールアーム」という部品の独自加工開発だ。細いパイプを曲げた部品だが、当時の技術では加工時にどうしても「シワ」が発生してしまい、リールの機能が落ちてしまう問題があった。それはさすがのマノ精工にとっても難題であったが、諦めずに試行錯誤を繰り返した結果、シワの出ないパイプの量産化に成功し、顧客から高い評価を得た。その新技術の実現の旗振り役となったのが林愛子社長だ。
「ベテラン技術者たちは今までの概念から『できない』と言うばかりでした。けれども『なぜ?』『どうして?』と問いかけていくと、だんだんと答えの道筋が見えてきて、ついに3次元加工という誰も思い付かなかった手段に到達したんです」
そう話す林社長、技術に関しては全くの素人。だからこそ、分からないこと、疑問に思えることを放置せず、まっすぐに技術に向き合えたのだろうと振り返る。
そもそも林社長は創業者の一子で、かつては経理担当として働いていた。ところが、外部から招いた2代目社長が赤字を重ねたことから、経営刷新の指揮を執る人材としてトップの座に抜擢されたという。当時は100名近くいた社員も25名までに減り、苦境に立たされた時代。しかし、常に「なぜ?」と問いかける姿勢を貫いて、イノベーションを巻き起こしてきたのである。

ベテランが培ってきた技術の継承に注力する
常識にとらわれない林社長の実績を見れば、革新を巻き起こすのに長けたトップであるのは一目瞭然だ。それを物語る一例が、狭山工場に移転してできた本社工場の空きスペースの活用法である。ここに、金属とは全く趣が異なる植物工場を開設したのだ。ベビーリーフや空心菜などの野菜を室内で育て、一般市場に出荷して人気を博していたという。
「もともとはリーマンショック後に、新しい可能性を模索しようとチャレンジしてみた事業なんです。数年前に閉鎖しましたが、中小企業としては半歩早い取組だったかもしれません。それでも野菜を作る喜びを味わえましたし、不況で手が空いた社員たちに働く場を提供することにもなりました」
林社長は思い立ったら吉日とばかりに動き出したい性分。2000年代半ばには中国工場を設立し、中国で工場を稼働させながらも、事業継続の観点から3年前にタイ工場を設立。これも中国の情勢を読み解いて先回りして動いた賜物だ。
フットワークの軽さとバイタリティーで、苦境に立たされていた同社を牽引してきた林社長だが、2017年からしばらくの間、あえて立ち止まる時間を作ることを決心。もう一度現状を見直してから、新しくできることを探すのだという。そのために全員で技術の基礎を勉強し直しているほか、工場独特の目に見えない職人的技術の「見える化」に取り組んでいる。ベテラン技術者がいずれリタイアしたときに備え、後輩たちに持てる技術を伝えていく仕組みを整備しているのだ。
技術を言葉にして継承していくのは難しい作業であるが、ここでも林社長は「なぜ?」と突き詰めて形にしていこうとしている。
「難しいなどと口では言っていても、『なぜ?』と問い続ければ納得できる答えが導き出されるのです。ちなみに私自身、技術にこれだけ触れてきたので、聞かなくても答えを知っているケースもあるんです。それでもあえて、技術者に『なぜ?』を繰り返しています。私が説明するよりも、技術者本人の言葉で語ったほうが若い人たちの納得に繋がりますからね」
会社のあり様の“見直し”を終えれば、きっとマノ精工は今まで以上に斬新な発想で、日本のものづくりの新たな可能性を切り開いてくれるに違いない。

大ベテランの指導を受けながら、成長をし続ける
総務経理グループの横田愛実さんは、2014年に新卒で入社して以来、勤怠管理や来客対応、さらには備品調達といった、いわゆる会社を陰から支える役割を担っている。特に注力しているのは、中国とタイの工場とのやり取りだという。
「中国工場の経理業務を現地の会計士とやり取りしながら、健全な工場運営の実現を目指し仕事に邁進しています。大学で学んだ簿記が大きな力になっています。また、タイ工場から送られてくる英文メールの翻訳なども任されています。本格的に英語を勉強してきたわけではありませんから苦労もしましたが、手探りでコミュニケーションを重ねながら語学力にも磨きがかかったと思います」
横田さんはこうした海外とのやり取りを1年目から担当している。少数精鋭の会社だけに、若くして大きなチャンスを掴める機会はほかの局面でも多々あるといい、また社内のちょっとした業務改善なども、どんどん提案できると目を輝かす。
「例えば、『手書きの書類を、Excelでデータ化して印刷しましょう』と話をしたところ、先輩たちがすぐに受け入れてくれました。これには相乗効果もあって、手書きで発生していた記載ミスの防止にも役立っています」
実は、同社の総務経理グループは特にベテランぞろいの部署で、横田さんは70代の大先輩に教わりながら、経理などのノウハウを身に付けている。長年にわたって蓄積された知識と経験の凄みを間近にしながら、一歩ずつ成長を遂げているようである。

理系出身ながら営業にチャレンジ
営業の田崎瑛祐さんは機械系学科の出身。サークル活動で二足歩行ロボットを製作していたこともあるという。それだけに就活を始めた当初は設計者志望だったが、次第に人と深く関わる仕事のほうが性に合っていると感じるようになり、メーカーの技術営業を目指すことにしたと話す。
「当社を選んだ決め手となったのは、社長との面談です。若い人が活躍できる場を作りたいとトップが明確に語ってくれたことから、私も好きなことにどんどんチャレンジできるのではないかと期待に胸を膨らませて入社しました」
入社をすると、1年間は生産ラインや検査、梱包といった工場の各部署を経験。ここで自社のものづくりの基礎を学んだ後、2年目から念願の営業として活動することになった。担当しているのは、トラック部品メーカーや試作品を専門とする企業などだ。
「専門用語が多くて、最初は何を言っているのかさえ分からない状態でした。そんな状態なのに自分で解決しようとしたものですから、悩みは膨らむ一方。うまく仕事を進められないジレンマに陥ってしまいました」
ある案件ではオペレーターとの対話が甘く、目的と違う品ができてしまった。林社長らの協力で何とかリカバリーしたというが、これをきっかけに密な対話を強く意識するようになった。
「社内はもちろん、お客様に対しても同様。単に納品するだけでしたら数分の会話で終わりますが、世間話からものづくりに関する悩みまで幅広く話題を振って、人間関係を構築していくように心掛けています」
おかげで営業としても確かな仕事ができるようになったと、田崎さんは話す。最近は物の動き方を再確認するべく、工場の生産管理業務も兼任するようになった。工場の生産メンバーと一層密に対話をしているおかげで、お客様に面と向かったときの説明に説得力が増していると、手応えを感じている。田崎さんも一歩ずつ、着実に成長を遂げている。

編集部メモ
会社を未来に伝える人材を求めたい
マノ精工は70年前の創業当時こそカメラ部品を製造していたが、時代の移ろいとともにカーラジオにシフト。一時は栃木県の那須に工場を構え、月産100万個ものカーラジオ用の部品生産を手掛けていた。その後、紆余曲折があって次第に事業をシフトし、現在は釣り具や医療機器などの緻密さが求められる金属加工において、目ざましい実績を残している。
歴史ある企業だけにベテランの姿も多いが、この先、さらなる未来に向けて歴史を紡ぐため、英知を若手に繋いでいこうとしている。それだけに、これから入社する社員たちも、次世代の主役として飛躍してもらうべく、着実に育成していく考えだ。特別な知識やスキルの有無は問わない。素直に新しい物事を吸収して、和を大切にするという感覚があれば、誰にでもチャンスが広がるはずだ。明日の会社の主役を張れる人材を、同社は求めている。

- 社名:マノ精工株式会社
- 設立年・創業年:設立年 1948年
- 資本金:1,000万円
- 代表者名:代表取締役社長 林 愛子
- 従業員数:52名(内、女性従業員数 12名)
- 所在地:190-0002 東京都立川市幸町1-13-3
- TEL:042-536-1566
- URL:http://www.mano-seiko.jp