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城南地区 株式会社更科堀井

株式会社更科堀井 海外へそばの魅力を発信し、 ビジネスチャンスを拡大

株式会社更科堀井

海外へそばの魅力を発信し、 ビジネスチャンスを拡大

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城南地区

株式会社更科堀井

海外へそばの魅力を発信し、 ビジネスチャンスを拡大

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創業228年老舗そば屋の挑戦ストーリー
海外へそばの魅力を発信し、ビジネスチャンスを拡大

更科堀井は、麻布十番本店、立川店の2店舗を構える創業228年の老舗そば屋。9代目の堀井良教代表は店舗経営にとどまらず、そばの新たな可能性を模索し、ビジネスチャンスを広げている。

赤字経営を見直し、復活。 さらなる成長を目指して

 更科堀井の創業は1789(寛永元)年という老舗中の老舗。そば打ち上手として知られた信州の反物商・布屋太兵衛がそば屋に転向し、港区麻布永坂町に「信州更科蕎麦処(そばどころ) 布屋太兵衛」を開店したのが始まり。更科そばは、実の中心部だけを使った輝くような白さと上品な風味がその特徴。そば好きの江戸っ子にその味わいが喜ばれ、評判が評判を呼んで、大名屋敷や有力寺院などにも出入りするようになった。明治の時代になるとにより一層のにぎわいとなり、麻布永坂の名物として繁栄した。ところが、昭和初期に起こった恐慌のあおりを受け、廃業に追い込まれるという憂き目に遭う。
 「江戸時代から続いた家業の再興はまさに一族の悲願。何としても伝統のそばの味をという一念で、父の堀井太兵衛が1984年に麻布十番のこの地に店を構えたんです」と語るのは、15年前に店を継いだ堀井良教代表。しかし、経営は必ずしも順風満帆とはいかなかった。
 「赤字単年度を出してしまったんです。今思えば、地域の会合やなんだといっては店からやや気持ちが離れたのが原因だったのでしょう」
せっかく再興したものをやすやすとたたむわけにはいかない。これまでの経営を徹底的に見直し、改革に取り組んだ。企業として成長し続けていくためには新しい人材が不可欠と、新卒採用にも踏み切った。2012年から毎年2~4名を採用している。
 「これまでは小さな所帯でしたから、慣れ合いでやっていたところもあった。それを徹底的に見直しました。まずは労働条件を整え、時間外については全て残業代を付けるようにしました。さらに給料体系を改め、自分が会社からどんなふうに評価されているのか分かるように人事評価制度も導入しました」

body1-1.jpgそばをテーマに様々なビジネスを展開する9代目の堀井良教代表

そばをキーワードに 新たな事業に積極的に挑戦

 社員を増やせば、当然ながら社員の活躍の場を増やしていかなければならない。同社では現在、麻布十番本店と立川店の2店舗を展開するが、2018年に日本橋に出店する予定。さらに、そばをキーワードに様々な新規事業にも挑戦している。その一環として始めたのが、更科堀井と銘打ったカップ麺など他社との共同の商品開発。また、海外市場への進出にも意欲的で、日本の食文化を紹介すべく海外で開催されるイベントなどにも積極的に参加し、政府の公式行事に招聘される機会も増えているという。また、職人技を伝えるそば打ち教室や、そばは低カロリーの健康食という側面から小学校などでの食育教室などの依頼もあり、ビジネスの芽も多角的に広がっている。
 「国内でもそばの魅力を知らない人は多いですし、世界に目を向ければ、市場は大きく広がっているといえます。220年を超えて伝統を守ってきた会社として、そばの素晴らしさ、ひいては日本の文化の素晴らしさを積極的に海外にも発信していきたいですね」(堀井代表)

body2-1.jpg麻布十番本店。老舗というだけに、家族3世代で訪れるファンも少なくない

伝統文化に触れられることに 魅力を感じ、そばに興味を

 入社3年目の持田拓也さんは、大学ではスポーツ科学部で学び、海外旅行にも頻繁に出掛けていたという。その経験でつくづく思い知らされたのが、日本のことをあまりにも知らないということだった。このままではいけないと痛感させられた持田さん、就職活動では日本の伝統文化に触れられる仕事がテーマになったという。
 「必ずしも飲食業界に絞っていたわけではなかったのですが、更科堀井の説明会に参加して、お店の様子やそばを打っているところを見て、伝統文化に触れながら手に職をつけられるそば打ち職人さんって、かっこいいなぁと憧れましたね」
 持田さんは、入社以来、厨房の仕事を中心に経験を積んできた。和食の基本となる卵を焼くところから始まり、料理の盛り付け、てんぷらを揚げる、そばをゆでるなど、段階的に経験を重ねてきた。そんな持田さんの目標は、そば打ちの技術を身に付けること。
 「数打たないと上達しませんから、休憩時間や閉店後の時間を利用して練習しています。もちろん、うまくいかないことはたくさんあります。そんなときは悔しい気持ちにもなりますが、その分、うまくできたときの嬉しさは倍増します」
 そんな努力が報われて、持田さんは今年からそば打ちも任されるようになった。
 「料理長が15分で打つところを僕はまだ30分かかります。もっと正確さやスピードを上げていかなければなりません。そばの知識も足りないので勉強して、トータルにそばのことを理解していきたいですね」

body3-1.jpg「気温や湿度、そば粉の具合によっても、微妙にそばの出来は変わるんです」と語る持田さん

将来は、そばを通じて 地域活性化に貢献したい

 今はすっかり職人姿が堂に入る持田さんだが、入社前には飲食店での下積みはさぞかしい厳しいものだろうと覚悟を決めていたという。ところが現実は全く違っていたと明かす。
 「職人の世界は、入社というより『弟子入り』だと聞いていましたから、ずいぶん緊張していたんですが、先輩社員は皆さん驚くほど柔らかく接してくれて働きやすかったですね。若手を育てていこうという先輩社員の気持ちが伝わってきました」
 お客様に提供する料理を作るだけでなく、幅広いフィールドが広がっているのも同社の魅力だと、持田さんは話す。
 「更科堀井はただのそば屋ではありません。お客様におそばを提供するだけでなく、政府に呼ばれたり、講座や教室を開催したりといった様々な仕事があります。そうした声が掛かるのも、伝統と歴史がある当社だからこそできることだと思います」
 将来は、身に付けたそばの知識や技術をもって地域活性化に貢献するような仕事をしていきたい、そう語る持田さんの目は輝いていた。

body4-1.jpgそばを打つ持田さん。色が濃い「もりそば」と白い「さらしなそば」では、水の温度や加減が微妙に異なるのだという

若い人にそばの魅力を発信して 更科堀井をアピールしたい

 職人を目指す人だけではない。様々な志望動機で同社に入社する人がいる。主に接客を担う中西結さんは、入社5年目。大学では法律を勉強していたという。
 「学生時代に接客のアルバイトをしていたこともあって、就職活動で接客業が視野に入っていたのは確かですね。それでも幅広い業種の会社を回りました」
そんな中で中西さんの目に止まったのが、幹部候補生となる新卒1期生を募集していた同社の求人。面接を受け、自分という人間をしっかり理解しようという姿勢で接してもらえたことが印象に残ったと話し、加えて同社の規模感にも魅力を感じたという。
 「規模の小さい会社のほうが、より早く責任のある仕事を任せてもらえるんじゃないかと思いました。その直感は間違っていませんでしたね」
 中西さんのその見立ては入社してすぐに証明された。それまで外部の企業に委託していた社員募集や会社説明会などを自分たちの手で発信していきたいと中西さんが提案したところ、その意見が認められ、採用担当に抜擢されたのだ。
 「人前で話をするのはもともと好きなので、学生さんに事業内容などを説明するのはやりがいがあります。こうした採用活動を通じて若い人たちに当社の魅力をもっと知ってほしいですね」
 中西さんは接客を通じて、日々顧客と接している。顧客はどちらかというと年配者が多いだけに、そばの魅力をもっと若い人にも伝えていきたいと意気込む。
 「SNSなどを通じて若い人たちにアピールしていきたいですね。そして、更科堀井のファンを日本全国、さらには海外へと広げていきたいです」と中西さんは、充実感に満ちた表情で語ってくれた。

body5-1.jpg接客中の中西さん。日本の食文化に対する海外の関心は高く、外国人観光客が日に30~40人は訪れるという

編集部メモ

海外でも活躍する更科堀井


 老舗の看板を武器に日本の食文化を海外で紹介する機会が増えているという堀井代表。2012年には、東京オリンピック招致活動の一環としてロンドンを訪問。翌年には、安倍首相に同行してモスクワを訪問し、そばを披露した。2015年のミラノ万博では、日本代表として出展プロデュースも果たしている。そのほか、海外店舗の出店も手掛けており、2012年には韓国ソウルに同社監修の店舗を出店。2023年には、更科堀井「パリ店」をオープンするという構想も掲げている。これからの発展が楽しみだ。