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日本特殊工業株式会社

日本特殊工業株式会社 新たな挑戦に向けてのテイクオフを決意<br>エンジニアの醍醐味がここにある。航空会社からの厚い信頼を誇る飛行機部品の製造・修理会社

日本特殊工業株式会社

新たな挑戦に向けてのテイクオフを決意
エンジニアの醍醐味がここにある。航空会社からの厚い信頼を誇る飛行機部品の製造・修理会社

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輝く技術 光る企業

日本特殊工業株式会社

新たな挑戦に向けてのテイクオフを決意 エンジニアの醍醐味がここにある。航空会社からの厚い信頼を誇る飛行機部品の製造・修理会社

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  • 社名:日本特殊工業株式会社
  • 設立年月:1959年4月17日(昭和34年)
  • 資本金:2,300万円
  • 代表者:矢島 由之
  • 所在地:【本社・工場】東京都大田区大森南2-25-24
    TEL:03(3745)6704(代)
    FAX:03(3745)6706
    【長崎工場】長崎県大村市雄ヶ原町147-43
    TEL:0957(48)8115(代)
    FAX:0957(52)8507
  • 公式HP:http://www.nittoku-kogyo.co.jp/
  • 本社を大田区大森南に持つ町工場。少数精鋭のエンジニアが集まり、飛行機部品の製造や修理を行っている。3年前に入社したばかりの渡邊徹さんにこの会社で働く魅力を、そして矢島由之代表取締役に会社の現状を語っていただいた。
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業種

航空機機体エンジン・部品製造、修理、宇宙関連部品の製造、修理

事業紹介

航空機機体エンジン・部品製造、修理、宇宙関連部品の製造、修理、
一般機械部品製造、めっき、溶射

「入社時は不安ばかりでしたが1〜2年経ってから居心地の良さを実感!」

「知人の紹介で初めてこの会社を訪れた時の印象は『小さい』でした(笑)。僕は埼玉県に住んでいるのですが、町工場が密集している大田区の独特な雰囲気にも圧倒されましたね。しかも20代は自分一人で、50〜60代の社員さんがほとんど。『ここでやっていけるだろうか?』と自問自答しながらも、とりあえず挑戦してみようと思って」と語ってくれるのは部品修理課の渡邊さん。入社時のそんな不安が嘘のように、今では充実したお仕事ライフを送られているそうだ。3年の間に一体どんな変化があったのか。 「一言で言えば『慣れ』だと思います。最初は年上の社員のみなさんに物怖じしていましたが、仕事を通じて会話をするうちに、僕にとって役立つことを言ってくださっているのが分かったんです。居心地の良さを感じるには、入社から1〜2年かかりましたが、長い目で見てくださった周りの方々に感謝していますし、苦手感を克服して、成長できた自分を誇らしく思います」 渡邊さんは、今では自分なりの観点から作業環境の改善を提案するなど、会社に対して積極的に働きかけている。

nihon-tokushu_ph01.jpg 渡邊さん

「失敗も経験のうち先輩社員のフォローもありがたかった」

渡邊さんは職場に慣れていくと同時に、仕事の面白さにも目覚めていったと語る。 「以前に航空会社で整備員をしていたという先輩社員が1年半ほど付きっ切りで指導してくださいました。丁寧な説明なので頭では理解できるのですが、体の方はなかなかついて行きません。例えば同じ塗装でも温度や湿度などの条件によって、塗料の種類や噴射量を調節する必要があるんです。このあたりもやはり経験を積まないと要領が分からないんですね。」 試行錯誤を繰り返しながら、今の知識や技術が身についたと渡邊さんは語る。 「最後の加工で寸法を間違えるという最悪のミスもしました。作り直しには時間もコストもかかるし、どうしようかと真っ青になりましたね。先輩社員たちは『仕方ないからいいよ』とおっしゃってくださいましたが、もしかしたら内心は大激怒だったかもしれません(笑)。」 そのような失敗も今では良い経験となり、どこでミスを犯しやすいかなどが徐々に分かってきたと語った。 「それでもベテラン社員さんに比べると、僕の実力は多く見積もっても1/3くらい。まだまだ成長の余地があります。とくに精度とスピードを高めることは自分の中での第一目標ですね。」

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航空会社からの依頼で1960年代に航空機の部品修理に着手

1959年に創業した日本特殊工業は、初期には航空会社からの依頼で部品修理を手がけていた。その後は徐々に主力事業が部品製造に傾いていたが、3年ほど前から航空業界が不況となって部品価格がダウン。部品製造が魅力ある市場では無くなってきたために、1年ほど前から修理に軸足を戻している。 「飛行機は、200時間ごと、1000時間ごとなどに定期的な機体点検を行います。その際に、私たちが担当する箇所の部品に修理の必要性があれば修理するといった形です」と語ってくれるのは矢島代表取締役。 「例えばランディングギアを動かすのに使われる部品は私たちの担当です。通常、羽田や成田から月に数十点は修理対象の部品が運ばれてきますね」 運輸されてくる前に、渡邊さんのような機械加工担当者が飛行場へ赴き、クラック(傷)や腐食部分を確認するのだとか。必要に応じて写真やメモを取っておくそうだ。

nihon-tokushu_ph04.jpg 矢島 由之社長

エンジニアが目で見て形状を把握まったく同じ部品を製造できるという強み

航空会社が日本特殊工業に、厚い信頼を置いている理由の一つが、自社内で部品を製造できること。ある部品が修理不可能なレベルで損傷を受けている場合に、それと同じ部品を航空機メーカーから取り寄せると時間がかかってしまう。そこで、航空会社から航空機メーカーに対して「航空機の部品をこちらで作っても良い」という承認を得た上で、日本特殊工業で同じ部品を作るのである。正規部品のおよそ半額で製造を行い、短期間で納入をしてくれるこの会社は、航空会社にとって、無くてはならない存在と言える。 「航空機メーカーは当然、大量生産で部品を作っているのですが、私たちの場合は、そうもいきません。エンジニアが目で見て形状を把握し、まったく同じものを1つだけ手作業で作るんです。私はこれを『人間機械系』と呼んでいます。CAD/CAMというプログラムを使うことが多いのですが、その後はジグ(道具)を使いながら地道に加工をしていきます。品質確認が終われば、すぐに納品をします。航空会社では飛行機が1日でもストップすると数千万円の損失になりますから、部品を製造・修理する私たちも必死になりますよ。エンジニアが昼夜なく働くこともあります」と矢島代表取締役。 お話を聞きながら見せていただいた製造部品は、人の手で作られたとはとても思えないような、なめらかで精緻なものだった。

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「社員は会社の道具ではないそれぞれが知恵を持った人間である」

現在、日本特殊工業の本社に勤務しているのは矢島代表取締役を含めて9名。他に11名が2006年に設立された長崎工場で勤務しています。工場で働くのは10年以上の経験を持つハイスキラーがほとんど。社員の方々について、矢島代表取締役はこう語ってくださいました。 「社員は会社の道具ではなく、それぞれが知恵を持った人間です。本当の意味でエンジニアとしての扱いをしているつもりです。また、当社では付加価値の高いモノ作りをしていますから、その分の社員への還元も惜しみません」 部品修理課の渡邊さんもこの会社で働く喜びについて、「全体の流れが見えるから仕事の重要性を理解できるし、完成時のやりがいを実感できます。また、量産ではなくてさまざまなものを1品ずつ作れるのも面白いですね。いろんな経験をさせてもらえて、自分のスキルの幅が広がっていくのが目に見えるようです」とお話してくれました。 自分がそれまで触れたことのない業界や人々を目の前にして戸惑っていた3年前の渡邊さんの姿は、いまやとても遠くにかすんで見えます。

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培ったスキルとノウハウでPMAという新たな分野へ飛び立つ

2009年、日本特殊工業は新たな挑戦に向けてのテイクオフを決意した。 「新機体は、設計趣旨が進化しているために取り下ろしが減少しています。つまり、使われている部品自体が壊れにくくなっているんですね。ですから、今までどおりの経営では生き残りが困難だろうと考えています。そこで、アメリカ連邦航空局の『PMA』という新分野に参加することにしました。『PMA』はParts Manufacturer Approvalの略。つまり、正規部品と同等のものとして連邦航空局に承認される部品を製造して納入するのです。これによって、全世界の航空会社に当社で作られた部品を利用してもらえます。本格的な始動は2010年春以降。長崎工場の機械が空いていますから、量産モノにも十分対応していけると考えています」と矢島代表取締役。 50年をかけて積み上げたスキルと実績を生かして世界へ飛び立つ日本特殊工業。大きく広がる空の中で、これからも独自の活躍を見せてくれることだろう。

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