<中小企業しごと魅力発信プロジェクト>

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株式会社 西尾硝子鏡工業所

株式会社 西尾硝子鏡工業所 新たなブランド価値創造を目指す<br>テナント、ブランドショップ、ホテル、病院、レストランなどの加工硝子制作を手掛ける

株式会社 西尾硝子鏡工業所

新たなブランド価値創造を目指す
テナント、ブランドショップ、ホテル、病院、レストランなどの加工硝子制作を手掛ける

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輝く技術 光る企業

株式会社 西尾硝子鏡工業所

新たなブランド価値創造を目指す テナント、ブランドショップ、ホテル、病院、レストランなどの加工硝子制作を手掛ける

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  • 社名:株式会社 西尾硝子鏡工業所
  • 設立年月:1932年7月
  • 資本金:1000万円
  • 従業員数:28名
  • 代表者:代表取締役 西尾 智之
  • 本社所在地:東京都大田区大森北5-9-12 〒143-0016
  • 公式HP:http://www.nishio-m.co.jp/
  • 2009年、今年で創業77年を迎える西尾硝子鏡工業所。主な事業は、一般板ガラス、鏡の加工卸、内装工事。近年、商業施設の内装業務として百貨店のテナント、ブランドショップ、ホテル、病院、レストランなどの加工硝子制作を手掛ける。2004年には、加工の需要に伴い新工場を増設。本場イタリアの最新鋭の切断・加工機を導入する。西尾社長の下、経営革新に取り組みながらも昔ながらの職人の技術力を高く保持し、技能伝承にも努める。 2006年には、高透過ガラスの加工技術が海外有名ブランドにも認められ、ショーケースを納入するなどの実績にいたる。将来的には、加工ガラスの強い自社ブランドを目指す。
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業種

板ガラスの加工・施工

事業紹介

海外高級ブランド向けのガラスケースや、内装用のガラスの加工・施工

代表取締役 西尾 智之様 42歳

父の他界により勤めていた総合商社を退社し、平成5年有限会社西尾硝子鏡工業所に入社。積極的営業を展開し、父の跡を継承していた母に代わり2006年、3代目社長に就任。株式会社に組織変更する。異業種交流会やセミナーにも力を注ぐ好奇心旺盛な人柄。座右の銘は、「一期一会」。『人との出会いは決して無駄にはしません』と熱っぽく語る。趣味は、スキューバダイビングと読書。

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父との最期の約束

子どものときから家業が忙しかったので雑用などお手伝いしていました。大学生になって車の免許を取ってからは配達にも行っていました。けれど当時はバブルの絶頂期、この仕事に面白さは感じられなくて。父からは「自分の好きな道を歩け」といっていただきました。大学で留年をしたものの、縁あって総合商社に入社することが出来ました。ところが1年目に父親が亡くなって。病院に駆けつけたとき、もうろうとしていた父の姿を見たとき思わず手をとって「僕があとを継ぐから」って言ってしまったのです。そしたら父が涙を流しながら、そのまま逝ってしまいました。今でも当時のことはよく覚えています。父も心のどこかで息子はいつか帰ってくる、と思っていたのかもしれません。もう約束をしたので破るわけにはいかないと、会社には事情を話して翌年1月に退社、平成3年4月に専務という肩書きで入社しました。当時は、職人さんとの葛藤もあって、大変なところに入ってしまったな、という気持ちがありましたね。

後継者は先代の描いた絵を受け入れて、自分の描きたい絵を時間をかけて描いていくもの

しばらくは、母が社長を務めていましたが、大きな会社から来たせいもあってか違った目で物事を見ることが出来ました。24歳であまり先入観なくこの世界に入ってきたのが良かったのかも知れません。後継者は先代の描いた絵を受け入れて、自分の描きたい絵を時間をかけて描くようなものです。「良いものさえ作っていればお客さんはついてくる」というのが父親の口癖でしたが、しかしそれだけで黙々とこれまでの延長でやっていては負けてしまう。卸だけではだめで、技術+設備+α工事(内装・施工)が必要だと思ったのです。新しく工事という部署を立ち上げ、お客様がお客様を紹介してくれるようになって、やっと自分のやってきたことが報われるようになったかなと思えたのが2000年〜2003年の頃です。それまでは設備投資にも走りませんでした。インターマックを取り入れる決断をしたのは、ちょうどこの頃です。

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西尾から新しい企業価値の創造を

市場が縮こまっている今、現在は純粋な営業だけはおいていなくて、メディアやWEBサイトの更新によって営業できる会社へと考えています。自分たちの方から営業すれば足元を見られることがありますが、企業のブランド価値を上げて「こうだからこうやって、そうすれば売れるのだ」とストーリーを描いていくことが大切です。狭い世界なので「硝子の世界では西尾さんしかいない」といわれて、指名されるくらいの会社になりたいと思っています。そうすれば職人さんのモチベーションも上がります。今の時代は、何事もコスト優位ですが、そればかり考えていては何か違うなと思いますね。付加価値を追求して粗理を稼ぐことでしか豊かにはなれませんし、仕事をしていても面白くなくなりますから。私自身モチベーションをあげることが大切だと思っていて、中小企業の社長さんたちとお会いしてお食事したりしてモチベーションを上げるよう努力しています。

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社長からのメッセージ

結局は、「誰のための技術なのだ」ということです。弊社の切断面加工の技術や、接着技術も誰にとって必要なのか?を考えて「こうだから必要なのですね」とストーリーを描いて自分たちで売っています。ビジネスモデルも急速に変わっていく時代ですから、それに合わせて人も変えていかないといけない時代です。違う角度から見ていける技術者も必要です。広い視野に立って物後を考えられ向上心の強い人、素直で謙虚に実行していける人ですね。まずは人の話を聞くことです。他の人と議論したり、いろんな人と会ったりすることも大切です。商品開発にしても100回繰り返すことが大切です。100回で足りなければ1000回、1000回よりも10000回繰り返した方がもっと良いのです。イチローがそれをやって成功しました。新しい考え方を取り入れてぜひ、柔軟な思考で頑張ってください。

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先輩インタビュー1

生産部 井手俊一さん 27歳 2004年入社。ブラジル出身。インターマックの技術者。高校時代から業界でアルバイトを続け就職、現在も父と共に働いている。夢は企業家 僕は実は日系のブラジル人です。中学入学の頃に日本に来て商業高校に入学してからは、父が働く硝子屋さんでアルバイトしていました。そのままそこで就職して父から直接、CADやCAMを教えてもらいました。1年位経ってインターマック(デジタルデータを使う加工機)を使える人を探しているという話を聞いて。当時に西尾ではそうした技術を持った職人がいなかったのです。それなら父とは離れて自分の力で試してみたいと思ってお世話になることにしました。今は若い人も増えて技術の習得も進んでいますが、機械でできないことが一杯あるのです。ベテランの職人さんがものづくりをしながら日々、発見して開発していったことがあります。ユニットバスなどに使われる「セミDX」という防湿ミラーの開発は、旧来の職人さんが発見して製品化したものです。アナログの作業が必要で今でもマニュアル化は出来ていません。2008年からは“1技術3人体制”「1つの技術を3人が出来るようにする」という方針も会社から出されました。お互いに技術を持った人が技術を教えあうのは素晴らしいことです。これまで経験の無かった人でも仕事のバランスをとりながらみんなでサポートし合って技術習得ための時間を作るようにしています。生産性の向上と技術習得、その両方が大切だと思います。 後輩へのメッセージ 僕は、いつも同じじゃなくて違うやり方を発見したいと思っています。出来なかったことをできるようになる、プログラムを変えてこれまで出来なかった加工技術が出来るようになることが楽しいのです。アナログもデジタルも両方大切です。出来れば最初にアナログを学んで、次にデジタルをやった方が良いですね。僕の場合は逆でしたけど。(笑)デジタルだけでは出来ないことがあるので、途中までアナログでやって残りをデジタルでやるとか、自分の経験で収穫していくことが大事です。僕自身、先のことはまだわかりませんが、もしかしたら今の仕事の延長戦上にとは違う硝子以外のことをやっているのかもしれないと思うことがあります。具体的にはまだ何も決まっていませんが、いつか自分の会社を持ちたいなという夢は持っています。家族とブラジルに帰国しているかもしれない。でも、この仕事は結構好きですよ。(笑)

先輩インタビュー2

生産部 小林康幸さん 36歳 2005年入社。工業高校機械科を出て他業種で経験を積んだ後、ハローワークの紹介で転職。 現在はフィルム加工を主に担当する。趣味は野球。 僕が転職先を探していた頃は今ほどではないかもしれませんが、結構就職難の時代でした。大森のハローワークに行って3,4社目星をつけていましたが、とりあえず「これまでやっていないことをやりたい、手に職をつけたい」と思って。その中で面接を受けて最初に返事をくれたのが西尾硝子でした。面接してくれた会長(前社長)から、「最初は硝子を磨いたりするようなお仕事しかない」といわれましたが、硝子業界のことをいろいろと教えてくれて…。知らないことばかりでしたが、一からやってみたいと思ってその場で気持ちを伝えました。最初は、硝子の持ち方から先輩に教わって、先輩のアシスタントとしてスタートしました。思ったより硝子の持ち運びは重労働で、1ヶ月位腰を悪くして休んでしまいました。手術もして自分でもあきらめかけていた頃、会長から「戻ってきても良いよ」と電話をもらって。有難い言葉を聞いて「復帰できるのなら」と、少し体が楽なフィルム加工の仕事に就いて3年以上続けてこられました。今思えば、最初は入ったときは職人さんが多くて「見て覚えろ」という感じできつかったですね。段々と年上の人に対して自分から積極的に聞いていくことが大事だとわかって、自分から動けば応えてくれるのですね。硝子も作業中、何回も割ったことありますが、「自分の体を大切にしろ」「危ないと思ったらまず逃げろ」といってくれて。今では和気藹々とした職場の雰囲気にこれまでやってこられてよかったなと思います。機械もありますが、自分の手でフィルム(加工)を張るのも楽しいです。ものづくり企業のよさは、自分の仕事の成果物がいろんなところに置かれていて(デパートやショップ、学校など)そこに行けば見られるということですね。人にも自慢できます。 後輩へのメッセージ やっぱり自分の好きなことをやるのが一番じゃないでしょうか。好きじゃないと次のステージには進んでいけないと思います。自分はこれまでいろいろなことをしてきたけれど、そんなに好きっていうものにはなかなか出会えないです。でも自分から積極的に飛び込んでいくことで変わることがあります。人同士の繋がりもあるし。腰を悪くしたこともあったけど、結構頑張って楽しくやってこられたと思います。昔は、趣味の野球にのめりこんでいたけれど、今は仕事も大切です。それと”エコステージ”といって環境経営に取り組んでいますが、標語を作って採用されたら“金一封”なんていう楽しい企画があります。実はこの前僕が作った標語が採用されて今、工場に張られているのです(笑)。今、若い人はすぐ疲れたとかいって会社に入っても長続きしない人が多いですけど、仕事は我慢することも大切ですね。頑張っていく思いが大切なのだと思います

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